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東京地方裁判所 昭和33年(特わ)8号 判決

被告人 中山太平

主文

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収にかかる腕時計二十五個(昭和三十三年証第一四九号の1および2)は、これを没収する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

被告人は、東京都台東区谷中初音町四丁目九十九番地において時計商を営んでいる者であるところ、昭和三十二年十月二十六日同所において、販売の目的をもつて、ダヴアンヌ・ウオツチコムパニー・ソシエテ・アノニムの商品である時計「シーマ」(CYMA)の登録商標(商標登録第四八四七三五号)に類似する商標「シーマアイ」(CYMAI)を使用した腕時計二十五個を所持していたものである。

(証拠略)

法律に照すと、被告人の所為は、商標法第三十四条第一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内で被告人を罰金五万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第十八条により金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、押収にかかる主文第三項掲記の腕時計二十五個は、本件犯罪行為を組成した物で被告人の所有に属すること明白であるから、同法第十九条第一項第一号第二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り全部被告人に負担させることとする。

(被告人および弁護人の主張に対する判断)

(一)  本件時計の文字盤のCYMAIは、CYMAと類似の商標とはいえない、という主張に対する判断。

CYMAIという標示は、CYMAという商標にIという字が一字附加されているだけであり、「シーマアイ」と呼ばれるにしても、「シーマイ」と呼ばれるにしても、呼称外観ともにCYMAという商標にきわめて似ており、商標法第三十四条第一号にいう「類似の商標」にあたると解される。なぜなら同法の立法趣旨(とくに第一条第二条参照)に照し、ここに「類似の商標」とは、呼称、外観等において「他人の登録商標」と一見まぎらわしいもの(すなわち、一般世人の誤解を招くおそれのあるもの)を指すのであつて、右に述べた程度の類似性があれば「類似の商標」と認めるのに充分だからである。以上の理由で弁護人の主張は採用せず、前記のとおり認定したわけである(右認定の証拠とした資料参照)。

(二)  本件時計は、販売の目的をもつて所持していたものではない、という主張に対する判断。

弁護人は、「本件の時計は、被告人が市原宏祥という特定人の依頼を受けて組み立て、同人に譲渡する目的で所持していたものである。販売とは、不特定多数の者に有償譲渡することであるから、被告人には販売の目的がない。」と主張し、被告人も同趣旨の主張をしている。

商標法第三十四条第一号にいう「販売の目的」とは、刑法第百七十五条にいう「販売の目的」と同様、不特定又は多数の人に有償で譲渡することを意味するものと解する。従つて、販売の解釈については、弁護人の主張は、ほぼ正当であるといえる。しかし、被告人は、市原に売却する以前、すなわち昭和二十五、六年頃から同種の時計を店頭に並べて売つており、市原が被告人の店から本件と同種の時計を買いうけるに至つたのも、市原が噂をきいて被告人の店をたずね、右の時計が売られていることを知つたからである。(被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書、証人市原宏祥、村井敏男の当公廷における各供述参照。)かような状況に徴して考えると、被告人としては、(1)要求または註文さえあれば、市原以外の者に対しても、同種の時計を売つたであろうと推認されるのみならず、(2)自己の売却する時計が不特定または多数の者に更に売却されるであろうことに気づいていたと認められる。(市原の当公廷における供述によると、同人は約五ヶ月間毎月四十個位被告人から買いうけていたものと認められる。右(1)の可能性(2)の予見が認められる以上は、前記販売の目的があつたと解するほかはない。従つて、たまたま本件の時計が市原個人に売却するためのものであつたとしても、その所持について被告人に販売の目的がなかつたとはいえない。以上の理由で、この点に関する弁護人の主張も採用することはできない。

(三)  被告人の行為は、正当の業務による行為として違法性を欠くという主張に対する判断。

弁護人は、「資本主義国における商人、就中古物商、時計商の間の取引通念によると、かような時計を組立て適正な価格で販売することは、刑法第三十五条による正当の業務行為として違法性を欠く。同種の行為については、被告人だけが起訴されているのである。これらの行為は公然とされており、被告人には違法性の意識がなかつた。」と主張している。刑法第三十五条にいう「正当の業務に因り為したる行為」とは、法令上形式的に権利または義務とされる旨の規定がなくても、社会観念上正当と認められる行為を業務として行うことを指し、かような行為は違法性が阻却されるのである。しかし、同条の趣旨にかんがみると、右の業務行為にかぎらず、法秩序全体の精神(これは法の理念といつてもよいし、条理と呼んでもよい。あるいは公の秩序善良の風俗と称することもできるし、文化規範と名づけることもできる。)に照し「正当」と認められる行為もまた違法性を阻却するものと解される。他人の登録商標に類似する商標を使用した商品を販売し、あるいは販売の目的で所持することは、法秩序全体の精神に照し、到底正当な行為であると認めることはできない。一部の古物商または時計小売業者の間にかような行為がほとんど公然と行われているとしても、それは単に取締の不徹底ないし怠慢に帰せられるべき問題であつて、このために被告人等の行為が正当なものとして違法性を阻却することにはならない。詳言するならば、国際的にも国内的にも相互の信用関係をもとにして初めて成立し健全な発展を期することができる取引社会における、「登録商標」の尊重保護ということは、この社会の存立にもかかわる重大問題であつて、法秩序としても、決して看過容認することのできないことなのである。なお、仮に被告人において自己の行為が法律にふれるものであることを意識していなかつたしても、被告人がCYMAIという標示のある時計を、このことを認識しつつ所持していた以上、被告人に犯意がなかつたとはいえない。つまり前記の意識を欠くことは、単なる法律の不知として犯意を阻却することにはならないのである(刑法第三十八条第三項)。以上の理由で、この点に関する弁護人の主張も採用しない。

(刑の量定の事情)

他人の登録商標に類似する商標を使用すること等の行為が取引社会の根本秩序をみだすものとして厳重に処罰されなければならないことは、さきに一言したとおりである。

特に本件は、外国商社の登録商標に類似した商標の使用に関する事件である点において、国際的観点からも重視されなければならない。被告人の行為は、まことに遺憾であり、その責任は重大である。しかし、本件の時計に使用されたような文字盤がほとんど公然と売買され、何ら取り締られていないことも、事実のようである(被告人の当公廷における供述、証人日笠上、村井敏男の当公廷における各供述等参照)。このような情況のもとにおいては、被告人だけを責め、厳刑に処するのは、いささか酷である。被告人の責任は重大であるが、被告人がこの点を充分自覚しなかつたことについては、若干同情すべき点がある。また被告人は、これまで(本件以外には)警察や検察庁の取調を受けたこともなく、時計商として真面目に生活してきており、二度とかような行為をくりかえさないことを誓つている。これらすべての事情を考慮すると、被告人に対する懲役一年の求刑はやや重きにすぎると認められる。裁判所としては、被告人に対し一層の自戒を求めるとともに、二度とあやまちを重ねないことを期し、今回にかぎり罰金刑を科することとしたわけである。

そこで主文のとおり判決する。

(裁判官 横川敏雄)

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